『風姿花伝』 第二 物学(ものまね)条々 世阿弥

物まねの品々、筆に尽くしがたし。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにもたしなむべし。およそ、何事をも残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また事によりて、濃き薄きを知るべし。

・・・

花鳥風月の事わざ、いかにもいかにも細かに似すべし。田夫・野人の事に至りては、さのみに細かに卑しげなるわざをば似すべからず。仮令、木樵、草刈、炭焼、汐汲などの、風情にもなりつべきわざをば、細かにも似すべきか。

*1

直面(ひためん)

これまた大事なり。およそもとより俗の身なればやすかりぬべき事なれども、ふしぎに、能の位上らねば、直面は見られぬものなり。

まづ、これは、仮令、その物その物によりて学ばんこと、是非なし。面色をば似すべき道理もなきを、常の顔に変へて、顔気色をつくろふ事あり。さらに見られぬものなり。振舞・風情をばその物に似すべし。顔気色をば、いかにもいかにも己なりに、つくろはで直に持つべし。

*2

*1:これは俳句の写生論に妥当する。詩的な背景をもった事象とそうでない事象があり、万物に人の歴史と紐付いた歴史があることを示している。それゆえに写生にも濃き薄きがありうるのである。また写生においては具体的動作の模倣が肝であることを暗示する

*2:ペルソナ論に妥当しよう。そもそもみな生身を生きていると思っているのは勘違いで、各役割というペルソナを演じている。人生は歩き回る影法師なわけである