『甘雨』兼久ちわき 第4章 手秤

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『甘雨』は兼久ちわきの第二句集。著者は、馬酔木・早苗同人。

平成17年より29年までの編年体で編まれている。

 

しぶりゐし野火を追ひ立てつむじ風

しぶるの擬人がどうか

回天の海鈍色に菜種梅雨

花菜雨と比べるとやや陰湿な感じがする季語で、「回天」の人間魚雷の悲しみが募る。もう少し悲しみの強い季語でもよいか、鈍色やと切るのも一興。

何もかも手秤母のよもぎ

西洋菓子は計量の正確性が問われるが、その母の手秤に愛情とそして挽歌性を秘めてゐるのであろう:最晩年である

一人抱きひとりは背負ひ花まつり

背子は減ったが、花筵でこのような景は未だに見られる。後に、とてつもない花疲れに襲われるが・・・

水掛けて籠に逸り鵜宥めけり 

実際に見たことがないと詠めない。鵜は何度も出てくるし、逸りも何度か出てきている

上げ潮に乗れず流燈戻りけり

さながら、まだ行きたくないとでもいうように。だが、やがて行くのであり、その一時を永遠と感じて、作者は俳句に残すのだ

組体操一斉に顔あげて秋

秋の象徴として、笛を拭かれた瞬間の顔を一斉に上げた組体操を見た。ピラミッドでも、数人の組体操が列をなしているのでもよく、大きな景をさらに大きく「秋」とはあくしたところがポイント

満月を割つて毀ちて鳰

春の鳰に譲る。

冬欅無一物てふ力かな

力の俳句はいい加減類句が多くなってきたが、欅の大きさと何もないがゆえの力強さが伝わる

月掲げ一山一寺おぼろかな 

朧月という季語があるが、それを分解し、一山一寺としてさらに拡がりが出た。

龍天に登ると迫戸の潮ふくれ 

梨咲くと野は葛飾のとの曇り 秋桜

海照ると芽吹きたらずや雑木山 悌二郎

の「と」である。微妙な「移り」を感じている。ややつきすぎか。

春暁の滴れる魚籠堤げ来る 

全体を春暁で包み込み、魚籠の滴りにポイントを絞って、近づき来る釣り人を描写した巧み。

喪帰りに匂ひぬ雨の花蜜柑

全面的な明るさではなく、雨の花蜜柑と喪帰りを合わせたのが取り合わせとしてよい

廃坑の櫓天突く青嵐

廃坑という草臥れた形を上五で示しどうなるのかと導入しつつ、その後の景の大きさへと持っていく技巧の確かさである。意外を感じる

島の子の走れば奔る羽抜鶏

ユーモラスである。羽抜鶏の季語の本意を捉えている。

鵺啼いて千古の魑魅呼び覚ます 

こういう季語は難しい

一夜酒口に含めば里ごころ

他郷にあるのかもしれない。いずれにしも地酒というのは、その土地のt水と米と杜氏の手にかかるもので、その里の本質的な部分と係わるものである

舁き縄を腰に走れり夕立雲

博多山笠であろう。夕立雲が心配だが、ものともせず一心にはしり声を出す男達の姿が浮かぶ

金魚玉覗きをる目の寄り目かな 

俳諧味。子への愛情が伝わる

滝落ちて山を一刀両断す  

天一碧大水刺の閃けり。ちと安易か。

人肌の地酒に酔ひて寝待月

月見なのだろうが、どちらがメインか分らないほど強か呑んだようだ。人肌に燗を付けたのだろう。の気分のよくなる句

一山の秋気集へり千木の空

千木ならば、鰹木で出雲であろうか。鴟尾のようにもっと詠まれて良い句材で、面白い

威銃鳴りて頓挫の長ばなし

そういうこともある。よろし

流鏑馬の埒を殿様飛蝗かな

流鏑馬とくれば弓の話と思いきや、埒に行き、さらにバッタへと意外な展開を見せる

残る蚊に眦を上げ奪衣鬼

実際にはそんなことはないが、誇張的に表現してあ面白さを出している

合掌と筆擱きたれば暁の虫

哀切

大襖閉めて双竜睨み合ふ

襖を閉めるまでは何もなかったのにしめたとたんににらみ合うことに面白さヲ感じているのである

知り初めし恋に頬染め耳袋

青春の抒情

もう笑まぬ顔に紅差す霜の朝

骨壺の温きを抱けば笹子鳴く

挽歌

恵方への往復切符貰ひけり

子供からか。浮き立つ心が表現sれている

ぶかぶかの母の指貫縫始

遺品にははを、そのエピソードを、思い出しているわけである

背負投げつぎつぎと決め初稽古

柔道。成長を感じているかもしれない

止め椀に花麩浮かべて女正月 

抒情

踏みつぶしたり厄年の鬼の豆

意地を感じる

ドリーネを囲みて山火鬩ぎ合ふ

秋吉台だろう。鬩ぎ合ふがよいが、ドリーネを俳句に使えるかが争点となる。

一塊を吐き出す受験日の電車

吐き出すが好みの問題

這ひ這ひの尻ゆさゆさと花の風

はいはい、ゆさゆさがリズムを作っている。花の風が全体を優しく包む

天よりの喝采と花浴びにけり

主観が滲みすぎていてよくない。