日野草城

臨月の女の湯浴む草城忌

産み月の女の湯浴む草城忌

 

妹の墓にわがそそぐ水あまくあれや 『青芝』

朝の茶のかんばしく春立ちにけり 

水晶の念珠つめたき大暑かな

蚊遣火の煙の末をながめけり

浄めの火あはれ欲情の谷を焼く 『俳句研究』昭和11年8月号

黒髪は黒く白骨は白きのみ 同上

春の夜やレモンに触るる鼻の先 *1『花氷』 以下同じ

物種を握れば生命ひしめける 

ところてん煙の如く沈み居り

小百足を愽つたる朱の枕かな

朝寒や歯磨匂ふ妻の口

舟の名の月に読まるる港かな

雨ふりて春惜む眉しづかなり

秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙

春の夜のわれをよろこび歩きけり*2

春暁やひとこそ知らね木々の雨*3

 

春の灯や女は持たぬのどぼとけ

春の夜や足のぞかせて横坐り

菖蒲湯や黒髪濡れて湯気の中

白々と女沈める柚子湯かな

 

林泉に暮雪の白き涅槃かな    『転轍手』以下同じ

初ざくらみづうみ碧く冷えにけり

船の汽笛(ふゑ)むらさきだちて強東風に

春寒の夢蒼々と睡りけり

手を出して春の月夜にさはりけり

墓の影墓にもたれて暮れ遅き

夜の五月匙落ちし音灯にひびく

 

手のとどく限り散らかし病みにけり 『旦暮』

湯に浮ける垢よいのちの垢と思ふ

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ

ながながと骨が臥てゐる油照

 新緑やかぐろき幹につらぬかれ

高熱の鶴青空に漂へり                     『人生の午後』

山羊の乳くれたる人の前にて飲む

ひとの手を握り来し花束を受く

見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 

裸婦の図を見てをりいのちおとろへし

全身を妻に洗うてもらひけり

わが前の蒲焼の値を妻言はず

見ゆるかと坐れば見ゆる遠桜

 

妻の手の硬くなりゆくばかりなり

日野晏子

満開の花のどこより咲き崩る

六月のあなうら熱く目覚めけり

*1:草城には触感の句が多い。桂信子『日野草城の世界』74頁

*2:桂信子『日野草城の世界』77頁、草城の句は厳めしさがなくマリー・ローランサンのえのように線による区切りもなく、自分の内側から出たものと外側とに隔たりがない。自分のよろこびが自然に春の夜のよろこびになり、春の夜のよろこびが自然に自分のよろこびとなっているのである。

*3:春の暁、ひそやかに木々を濡らす雨を詠ってゐるが、その雨を取り巻いている家々に安らかな睡りから覚めないでいる人々の姿をも描いている。桂信子『日野草城の世界』71頁、春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えねかやはかくるる『古今和歌集凡河内躬恒、我が袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし『新古今和歌集』二条院讃岐