白雲の夜も流れつつ牧水忌

竹林に雨音到る炉の名残 みづうみに雨降り止まず炉の名残 一山の日をとどめたる菫かな

ふらここの子の背を押せば風に乗る

花辛夷

菊池陽

散りぎわが美しいとは自分ではないから言えるのだよねえサクラ

寺田寅彦

ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。

肥後細川庭園

唐傘に伏目の新婦しゃがひらく 唐傘に伏目の新婦楓咲く 芽柳や身籠る妻の手を支へ 落椿光となりて流れゆく 落椿光聚めて流れゆく 落椿ひかり聚めて流れゆく

連山の雲まとひ聳つ百日紅 連山の雲纏ひ聳つ百日紅

虫出しの雷悲しみは胸を打つ 寒雷の夜や悲しみは胸を打つ 遠雷の夜は哀しみの胸を打つ 遠雷の夜は胸を打つおもひあり 遠雷の夜は抱きしむる子の熱き 遠雷の夜は抱き上ぐる子の熱き 遠雷の夜は独り居の水を干す

花辛夷

世阿弥『風姿花伝』序

古きを学び、新しきを賞する中にも、まつたく風流をよこしまにすることなかれ。ただ言葉卑しからずして、姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきをや。

雲影の峡を離るる流し雛

強情の千の利休の忌なりけり 相生垣瓜人

琅玕に雨音籠る利休の忌 琅玕に雨音兆す利休の忌 琅玕に雨音到る利休の忌 琅玕に到る雨音利休の忌 琅玕に兆す雨音利休の忌

阿武隈の天の碧さよ桃の花

北原白秋 落葉松

一 からまつの林を過ぎて、 からまつをしみじみと見き。 からまつはさびしかりけり。 たびゆくはさびしかりけり。 二 からまつの林を出でて、 からまつの林に入りぬ。 からまつの林に入りて、 また細く道はつづけり。 三 からまつの林の奥も、 わが通る道は…

春の波子の足跡をさらひゆく 風の日は青空𨗉し花辛夷

シャルル・ボードレール

詩の原理とは 厳密にそして簡潔に言えば ある高度な「美」への人類の憧れであり この原理が明らかにされるのは 魂の感激 興奮においてなのだが 感激と言っても 心の酔いである情熱や 理性の餌である真実などから 完全に独立したものなのである。「エドガー・…

沖へ垂るる頭三月十一日 深くこうべ垂れ三月十一日 祈りたるこうべの深し初桜 祈り居る頭の深し初桜 祈り居る額の深し初桜 祈りたる影の深さよ初桜

鞦韆

背を押すやふらここの子を風に乗せ 背を押さばふらここの子は風ならむ 背を押さばふらここの子の風乗らむ 背を押さばふらここの子の風ならむ 背を押せばふらここの子の風に乗る 背を押せばふらここの子は風に乗る 背を押せば野遊の子となりにけり ふらここの…

朧月夜

鼻歌を口ずさみゆく月朧 鼻歌の子と歩みゆく朧月 鼻歌の子と歩みゆく月朧 鼻歌の子と歩みゆく星朧 鼻歌の子と歩みゆく春の月 鼻歌の子と歩みたる春の月 ハミングの子と歩みたる春の月

川本皓嗣『日本詩歌の伝統』

詩的文体の基本的文体は、誇張と矛盾である。

賢治忌

海峡を灯のわたりゆく賢治の忌 海峡を灯の渡りゆく賢治の忌 海峡をわたる列車や賢治の忌

親鸞 『歎異抄』第5条

親鸞は父母のために一度も念仏したことはない。全ての心あるものは、この生命の繰り返しの中で親であり、兄弟であるから。

十三詣

十三詣まぶしき橋を渡りけり 十三詣まぶしき橋を進みけり 十三詣まばゆき橋を進みけり 十三詣まぶしき橋を進むなり 十三詣まぶしき橋を歩みをり 十三詣まばゆき橋を歩みをり 十三詣まばゆき橋を歩み来る 十三詣まばゆき橋を歩み来ぬ 十三詣まばゆき橋を歩み…

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也 『奥の細道』冒頭

旅の本質は変化そのものにある。 *1 舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす 一所不住の境界それ自体が、比喩的に不動の「栖」となる。鮮やかな逆説。 世界の実相そのものが旅、つまり変化なのだ。 *1:この人生…

川本皓嗣 『俳諧の詩学』

「うつり・ひびき・にほひ・位」そして「走り」などは、余情の共通性を求めるものである。

『俳諧の詩学』川本皓嗣

「軽み」とは、かすかに「本意」を匂わせながら、その重苦しい規範性と観念性を脱することではないか

川本皓嗣『俳諧の詩学』

すべて文学作品には、いろんな解釈がありうるだろう。そこが文学の値打ちだよ。

足あとの波に続きぬ春の浜 足あとの波へと続く春の浜 足あとの海へと続く春の浜 足あとの海に伸びたり春の浜 足あとの波へ伸びゆく春の浜 足あとの波へ伸びたり春の浜 足あとの沖へ伸びたり春の浜 足あとの沖へと続く春の浜 足あとの海に続きぬ春の浜 足あと…